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バボドゥルイヘンジン(馬鹿たちの行進) (1975)

posted Sep 16, 2011
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二人の息子と一緒に、1975年の映画「バボドゥルイヘンジン(馬鹿たちの行進)」を見ました。長髪が取り締まりの対象だった時代なので警察から逃げだしたり、通行禁止時間(夜の十二時)を破って警察署につかまる場面を見て子供達が面食らっていたのが面白かったです。小説家チェ・インホ(崔仁浩)の原作小説をハ·ギルジョン(河吉鍾)監督が映画化した「馬鹿たちの行進」は、韓国の映画史を語る時には語らずにはいられない作品です。子供の時に神童と呼ばれたハ·ギルジョンは、韓国で最初に映画学の学位(UCLA)を取得した監督で、フランシース·コポラとも交わりがあるぐらいの人でしたが、38歳で若くして亡くなりました。彼は「馬鹿たちの行進」に就いて、「現実と妥協した」と言いました。しかし、たとえ「維新体制」という当時の政治状況が分からない人でも、彼に石を投げることはできないでしょう。本質的に映画と言うのは、3次元の世界を平面に描くため妥協せざるを得ず、現実そのままの語りではなく、「あり得る仮想の語り」を描くものだから妥協であり、また「作品」と同時に「商品」にもなるわけですので妥協せざるを得ないのです。


「馬鹿たちの行進」の場合は、政府による検閲によって30分程の分量がけずられた事情も考慮したけれども、やはり何か足りない部分があると感じられるのも事実です。ハ監督は、ヌーベル・バーグに影響されたと言われています。場面が粗く切断されるヌーベル・バーグの影響はこの映画でも見られますが、その技法が原作小説とよく合っていたのか疑問です。ヌーベル・バーグの技法と70年代のおきまりの演技やダビングされた声優の声などが使われているため、映画文法と敍事構造が互いに空回りするような感じがします。もしかしたら、ハ監督が「現実と妥協した」と言った「現実」と言うのは、抑圧的な政治状況だけではなく、ヌーベル・バーグ方式をまともに消化できなかった韓国の映画製作の現実を示したのではないかと思います。


「馬鹿たちの行進」は主人公が軍隊入隊のための身体検査を受ける場面から始まり、軍に向かう入営列車に乗る場面で終わります。その間に、大学生たちのいろいろなエピソードがコミカルかつ軽快に展開されます。しかし、そこには、彼らを押さえ付けている恐ろしい現実の重さを垣間見ることができます。ビョンテは合コンで会ったヨンジャと付き合ったが結局振られます。ヨンチョルは「鯨を捕ろう」と東海岸に行って、絶壁から飛び降りて自殺してしまいます。ビョンテとヨンチョルは映画の中で警察という公権力と、また教授たちという既成世代と絶えず衝突しています。劇場で映画を見ていた70年代の観客たちには、この映画が直接に言えなかった一番高い壁が政治体制だということが明らかに見えたはずです。映画が選択したこんな隠喩的な方法のために、映画に挿入された「鯨狩り」や「何故呼ぶの」などの揷入歌が一層輝いています。


「馬鹿たちの行進」は時代背景とともに読み取らなければならない映画です。そうでなければ、合コンをしたり、失恋に悶えたり、無一文で酒を飲みながら騒ぎ立てたりした後、突然気が狂ったように自殺してしまう主人公たちは、変な若者達にしか見えません。生に対する熱情をめったに見せてくれない主人公たちの奇行は、課対抗の酒飲み大会で絶頂を迎えます。参加者たちが並んでマッコリを十杯ずつ飲んで針穴に糸を通すのを競った後、また十杯飲む場面はすごくユーモラスです。試合で優勝するビョンテの姿は、まるで「暴力脱獄(Cool Hand Luke)」でゆで卵を50個食べるかけに勝つ、ポール·ニューマンを連想させます。そして、また面白いことは、作家チェ・インホと亡くなったコメディアンイ・ギドン(李起東)が試合の審判役としてカメオ出演をしていた事です。


30年が経った今もう一度見ても、「馬鹿たちの行進」には優れた材料が見えます。一番目立ったのは、チェ・インホの原作の堅実さと、ユン·ムンソブ(尹文燮)という俳優、そして歌手ソン・チャンシク(宋昌植)の歌でした。私は2002年、チェ・インホ先生にお会いしたことがあります。先生は還暦が近いにもかかわらず、信じられないほどにエネルギッシュで機知に富んだ、いつまでも青年のような方でした。現在チェ先生は唾液腺癌で闘病中ながらも活発な作品活動を繰り広げていらっしゃいます。どうか先生が病魔に勝てるようにと祈っています。一方、海水浴場でギターを弾いて遊んでいた時にキャスティングされたというユン·ムンソブは、実は私の高校の先輩です。信じようが信じまいが、「馬鹿たちの行進」は彼が出演した唯一の映画でした。その後ふらりと映画界を去った彼は、今はインドネシアで事業家として活動しています。彼は個性あるルックスの持ち主で、ビョンテが映画の中で持っていたテニスラケットがよく似合う貴公子のような印象でした。へっぴり腰の姿勢で蟹股に歩く彼の姿は、70年代韓国の青年文化を象徴するものの一つでした。彼の経歴から推して察すれば、ビョンテの憂愁を帯びた瞳は演技ではなく、彼自身の魅力をありのままに発揮したものではないか思われます。彼は新人俳優に過ぎませんでしたが、相手役のイ․ヨンオク(李怜玉)のお決まりの大げさな陽気な演技にって、自然さがより引き立ちました。


「馬鹿たちの行進」が韓国の映画史に与えた影響の大きさは、その続編と亜流作品の行方を察するだけでも見当がつきます。「馬鹿たちの行進」が成功をすると、ハ·ギルジョン監督とチェ・インホ作家のコンビは続編である「ビョンテとヨンジャ」(1979)を作りました。軍隊を除隊したビョンテがヨンジャの愛を手に入れようと奮闘する内容が込められていて、まるで「卒業(The Graduation)」のラストシーンのように、結婚式場で花嫁を連れて高飛びをするビョンテの姿で終わる映画です。ハ監督が肝臓癌で亡くなったため、この映画は彼の遺作になってしまいました。「ビョンテとヨンジャ2」は、イ․ガンユン(李康輪)監督が作った続編で、ヨンジャ以外の配役がすべて変わりました。「馬鹿たちの行進」でビョンテの友達ヨンチョルで出たハ・ジェヨン(河載永)がビョンテ役だったのはちょっと可笑しかったです。この映画は、世知辛い新婚暮しで転転する二人を描きました。


「馬鹿たちの行進」に対する懐かしさは、ベ․チャンホ(裵昶浩)監督の「ゴレサニャン(鯨狩り)」(1984)と「ゴレサニャン2」(1985)でも切々と感じられます。題名そのものが「馬鹿たちの行進」の主人公が口癖のように言ったせりふにして、「馬鹿たちの行進」の主題歌の題名でした。それだけではなく、ベ․チャンホ監督の映画の主人公の名前も「ビョンテ」でした。ベ監督の作品は70年代の映画より場面に安定感があって、ユーモアにもより磨きが掛っていました。それにもかかわらず、「馬鹿たちの行進」はその後のさまざまな青春映画にはない深みを持っています。撮影技法面でも新しい試みに挑んでおり、時代の悩みを描き出すために真剣にとりくんだ跡が見られるからです。<終り>

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