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  →私の愛、私のそばに (2009)

posted Aug 29, 2011
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口下手な朴珍杓(パク·ジンピョ)監督は善良で大きな目の持ち主です。そういうわけで彼の作品「お前は僕の運命」の黃政民(ファン․ジョンミン)や「私の愛、私のそばに」の金明民(キム․ミョンミン)などが演じた主人公たちは、朴監督自身を連想させる面を多くもっています。90年代に、SBS放送局のドキュメンタリーPDから映画監督に転身してからは、高齡者の性問題を正面から扱った話題のデビュー作「死んでもいい」をはじめ、AIDS問題「お前は僕の運命」、誘拐事件「あいつの声」、ルゲリック病「私の愛、私のそばに」などといった、ルポ記事の素材として人目を引くような実話に着目してきました。「私の愛、私のそばに」では6人部屋の集中治療室での細かなスケッチなどに彼の得手がよく発揮されています。しかし私個人としては、既に売れっこ監督の一人にのぼった朴監督は、これからは実話のセンセーショナリズムに捕らわれず、もう少し伸び伸びと自由に想像力を広げても良いと思っています。

「私の愛、私のそばに」は正に俳優キム․ミョンミンの、キム․ミョンミンのための、キム․ミョンミンによる映画てす。この映画には、ルゲリック病を患う患者の姿を観客が実感できるように演じるため、おおよそ20kgも減量した彼に、監督を含めスタッフさえもやめるようにと言ったという裏話があります。キムのそのような圧倒的な熱演の中でも、その相手役の河智苑(ハ․ジウォン)が存在感を失わないのはすごいと思わされました。俳優たちの熱演は相手と共に相乗作用を起こすようです。

ハ・ジウォンが演じたジスは、結婚に失敗した経験のある葬礼指導師です。ある日ジスは、子供の時同じ村で育ったキム・ミョンミンが演じたジョンウと再会します。それはジョンウの唯一の家族である母が亡くなった日でした。ジョンウ自身は一年前ルゲリック病にかかり、車寄子に頼って生活しています。葬式を終えた後、彼が彼女に付き合おうと言います。「俺, 体が固まっていって結局動けなくなって死ぬ病気だって。それでも俺のそばにいてくれる?」と告白します。それから1年後、チャペルでふたりだけの結婚式をあげた彼らは、病室で新婚生活を始めます。病室で情を交わすふたりの姿は、映画「ウォーター・ダンス(Waterdance)」(1992)の中で脊椎神経麻痺で入院したエリック·ストルツと彼の恋人ヘレン·ハントが他の患者たちの目を盗んでお互いを愛撫する場面を連想させます。彼らが互いの体を感じ合う行為は、百言の言葉よりも強い生の意志の表現です。

病魔に苦しむジョンウの身体はますます彼の屈強な闘病意志を裏切っていきます。自分は必ず治るはずだと大言を吐いた「恋人としての」ジョンウは次第に衰え、「病人としての」ジョンウはジスに酷い暴言を吐きます。司法試験を受けるために病室に置いておいた法律書は、今となっては彼の惨めさをより残酷に悟らせてくれる外界のものに過ぎません。脳神経の損傷で感情調節が難しくなったジョンウは、なにも言えない状態となり、結局は亡くなります。ジスは涙を流しながら彼の葬式を丹念に準備します。キム・ミョンミンが歌った金賢植(キム・ヒョンシク)の歌「私の愛、私のそばに」がエンドクレジットのバックに流れます。

葬儀師が主人公として登場する最近の映画には、本木雅弘と広末涼子主演の日本映画「おくりびと」(2008)があります。2009年アカデミー授賞式で日本映画では初めて外国語映画賞を受賞したこの作品は、日本人特有の抑制された悲しみが盛られた秀作でした。死はいつも生き残るものたちが堪えなければならないことだということをこの映画はよく見せてくれます。そのような意味で、「おくりびと」と「私の愛、私のそばに」は正反対のメッセージを持っています。ジスはジョンウが死に向けて走り出す時点から、彼を‘送るまい’と無駄な抵抗を始めるからです。「私の愛、私のそばに」は愛とは生きている人々が生きているうちに温もりを交わすものだということを語りかけています。

ジョンウと出会った直後、ジスは事務室でルゲリック病を検索することで、それが致命的な病だという事実を知ります。「ふうん、本当に死ぬんだ。」それにもかかわらず彼とのデートを始めるジスの心情は理解しがたいものです。おそらく、負けず嫌いな性格なので、どんなに難しくても愛を燃え上がらせる相手を全力を尽くして失うまいと決意したのだと思います。映画の中でジスは口癖のように、「愛は燃え尽くすものだ」と言います。恋人の死を目前にしていても生きるということと肯定的に向き合う彼女の態度は健気で、それがこの映画の強みです。

死んだ人を愛することは簡単です。死者はかんしゃくも起こさず、水をくれと言ったり背中をかいてほしいと求めることもありません。少し極端な内容ですが、死体を扱う職業を持つ人に関する映画がもう一つ思い浮かびます。1996年のカナダ映画「キスト(Kissed)」で、主人公サンドラは死者との沈黙と平和に惹かれたあまり、死体を愛するネクロフィリアになります。生きているボーイフレンドと共寝した彼女は彼に文句を言います。「あんたの体は熱すぎる。」サンドラの愛がエゴイスチックで抽象的な愛であるなら、「私の愛、私のそばに」のジスの愛は切迫していて具体的な愛です。

「Kissed」ほどに極端ではないのですが、亡き人に対する愛を扱った作品は他にもいろいろあります。そのような愛の記憶が切なくて美しいのは、逆説的に、生きている間の日常の愛がそれほど難しいものだということを証明しています。韓国でも人気があった日本映画「ラブレター」の主人公である二人の女性(中山美穂の一人二役)は、登山事故で死んだ一人の男性との記憶を共有して、手紙のやりとりをします。昔の恋人に関する薄れていく記憶を留めようと、残酷な時間との争いは気高くて美しい事です。しかし亡き人との愛が持つ矛盾は、もし彼が生きていたら彼との愛がこれほどまでには切なくなかったかも知れないということです。「ラブレター」の主人公である博子の愛は、まるで生きていた頃の恋人と燃やすことのできなかった愛に対する悔いのようにも見えます。雪山で凍え死んだ恋人を慕って、彼女は雪に覆われた山を訪ね、亡き人に向けて‘お元気ですか’と叫びます。時間を取り戻したいと願う彼女の愛は、記憶の中に凍結された愛です。

余命の限られた患者と恋愛を始める「私の愛、私のそばに」の内容が作為的で押しつけがましいと感じられたなら、それを一種の比喩として見ても良いと思います。人間はだれしも必ず死ぬことになっているので、私たちは例外なく期限の知らされていない「時限付き恋愛」をしているわけなのです。もしすべての人が、時間があまり残されていないかのように恋をするなら、ささいなことで争ったり別れたりする恋人はいなくなるはずです。<終り>


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