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ギルソトゥム (1985)

posted Oct 03, 2011
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日本と同様に, 韓国でも以前は国産映画のことを「邦画」と呼んでいました。今では使われない表現なので、韓国で「邦画」といえば80年代以前の映画を示す言葉になりました。そういう事情で、韓国で「邦画」という言葉の中には「国産の映画」という文字通りの意味とは関係なく、政治的な検閲や劣悪な製作条件に揉まれた国産映画に対する自嘲的な響きが含まれるようになってしまいました。社会的な批判もすっかり政治的な反抗に映ってしまったので、韓国の「邦画」は社会性を減らしてその空席を扇情性で埋めました。「ヨンジャウィジョンソンシデ(英子の全盛時代)」をはじめ、いわゆる「ホステス映画」などが氾濫したその時代、韓国映画を愛した若い人々は密かに集まって、禁止されていたユ․ヒョンモク(愈賢穆)監督の「オバルタン(誤発弾)」など60年代の映画を見ながらため息を吐いたりしました。

權威主義政府の時代の中、韓国映画は20年以上もの間沈滞していました。逆説的な話になるかもしれませんが、それが私がイム・グォンテク(林權澤)監督が好きな理由なのです。今や「巨匠」として敬われていますが、イム監督は黒沢明や小津安二郎のように最初から作家的な監督ではありませんでした。彼は厳しい条件の中で、映画に携わってきた職人でした。70年代は工場で品物を作るように、一年に50本もの映画を監督したこともあったと聞きました。イム監督は難しい現実に挫折してやめることもなく、状況がよくなった後はそれまでの慣れた枠に閉じこもることもなく、常に自分が処した場所と時間の内で自分ができる最善を尽くして来た「プロフェッショナル」です。蚤を小さい箱の中に入れて育てれば、後には取り出してやっても箱の高さまでしか飛び上がれないという話をご存知でしょう。自分が過ごしてきた時代の枠をひらりと飛び越えたところにイム監督の偉大さがあると、私は思います。

70-80年代の韓国では、ほとんどの映画監督に、真の「作家」になる機会が与えられませんでした。そんな劣悪な製作条件で職人の精神を発揮した多くの映画監督たちが、今、国際舞台で才気煥発に活躍している若い監督たちの立っている踏み台になりました。たとえB級映画の監督と呼ばれているにせよ、シム·ウソプ(沈雨燮)、イ·ヒョンピョ(李亨杓)、ゴ·ヨンナム(高英男)、キム·ヒョチョン(金曉天)、ナム·ギナム(南基南)、キム·ジョンヨン(金正勇)などの監督たち無くしては、今日の韓国映画は生まれなかったはずです。

イム監督は90年代初め、「ジャングンウィアドゥル(将軍の息子)」1-3編と「ソピョンジェ」で興行記録をやぶったことに留まらず、独特な美学的世界を持った作家として認められるようになりました。彼は韓国映画の「冬」を克服し、自分の花を咲かせた人です。そういう訳で、70年代以前まで素敵な作家主義的映画を作ったユ․ヒョンモク(愈賢穆)監督やシン·サンオク(申相玉)監督すらできなかったことを、イム監督はやり遂げたと言えます。

「ギルソトゥム」は1985年に封切られたイム・グォンテク監督の作品であり、 彼の映画の中で私が一番好きな作品です。KBS(韓国国営放送)の離散家族探し番組で全国が沸き立っていた83年の夏、キム․ジミ(金芝美)が演じたファヨンは主人の勧めで戦争中に別れた息子を捜しに放送局に行きます。その息子は今の主人との間に生まれた子ではなかったのです。ファヨンは過去を回想します。日本から独立した直後、「ギルソトゥム」という町に引っ越し孤児になった彼女は、父の友達であるキム(金)氏の家に身を寄せます。そこで過ごすうちに、彼女はキム氏の息子トンジンと自然に恋におち妊娠します。戦争が起こり、彼女はキム氏の家族と別れて、孤軍奮闘します。歳月が経って彼女は今の主人と家庭を築きましたが、生き残るために息子を捨てた記憶は彼女の癒えることのない傷跡として残りました。

離散家族捜しを行っている放送局で、ファヨンはシン·ソンイル(申星一)が演じたトンジンと偶然に再会します。彼はある家庭の家長になっています。二人は一緒に彼らの息子ソクチャンを探すことにします。紆余曲折の末捜し出したソクチャンは、生計を立てるのにも困っている壮年の男です。孤児として育ったソクチャンは突然登場した男女が自分の本当の親であることを切に望みます。しかし、30年以上の歳月は、取り戻すにはあまりに長過ぎます。彼らは医学的な方法で実子確認を試みるのですが、その結果は確かではありません。そこで、ファヨンは自分の「過去探し」をあきらめて、昔の傷に塩をぬるような痛みをかかえたまま別れる道を選びます。

この映画には、「実は、ソクチャンがファヨンの息子だ」と証明するちまちました説明はありません。それ故に、ソクチャンと別れるファヨンの涙がより観客の心を動かしたのです。母は本能的に息子だと分かるが、あらためて家族として暮すことができないという現実は重すぎます。「実子確認が決定的ではなかった」という医学的所見は、残された彼女の人生の唯一のなぐさめとなるはずです。私は個人的に、この映画は韓国戦争の奥深い傷を、他の国の人々にもその痛みが伝わるよう翻訳されていると思います。

このような題材の映画は、何かに反対するストーリーになりがちてす。しかし、イム・グォンテク監督はこんな落とし穴にはまらず、作品の品位を守り、「ギルソトゥム」が「怨(憎しみ)の映画」ではなく、「恨(哀しみ)の映画」になるように作りました。日本語では「怨」と「恨」は、ほとんど同じ意味です。しかし韓国語では、その二つは全く違う意味になります。「ウォン(怨)」は他人への憎さを意味する一方、「ハン(恨)」は自分の心の中に解消されずに深く積もる哀しみを意味します。韓国の初代文化部長官を務めたイ․オリョン(李御寧)教授は、韓国の文化を「ハン(恨)の文化」と呼びました。彼によれば、「ウォン(怨)の文化」が「返す文化」だとしたら、「ハン(恨)の文化」は「解く文化」です。とにかく、私の見た「ギルソトゥム」は、反共産主義映画でも反戦争映画でもありませんでした。監督の暖かい目差しのおかげで、実子であることを認めてもらおうとするソクチャンの言動も見窄らしくなく、別離を選ぶファヨンの涙も偽善的に見えません。誰が彼女に石を投げることができるでしょうか?

過去を取り戻したい願いと、それができない現実との距離は、まるで「バック·トゥ·ザ·フューチャー」と「ギルソトム」の間隔ほど大きいです。傷を抱えていても、私たちは明日を生きて行かなければならないのです。このごろ若者達が韓国戦争をまるで昔話のように話すのを聞く度に感じるのですが、私は韓国戦争を当事者として記憶する最後の世代かもしれません。私は戦争が終わった13年後に生まれましたが、親から自分達が経験した戦争の話を聞いて育った世代に当たります。「私たちがもし離散家族になったとしたら、毎月の初めに首都の市庁の前で待つ事にしましょう。」これは新婚当初私の妻が私に提案した悲劇的なアイディアでした。<終り>
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